斉藤としつぐ
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幕末のスパシーボ
制作総指揮 斉藤としつぐ
-STORY-
幕末のスパシーボ 今から約150年前、幕末。ペリーの来航をきっかけに開国したばかりの日本に、プチヤーチン提督に率いられたロシア軍艦『デイアナ号』が日本との国交を求めてやってきた。

  勘定奉行の川路聖謨が日本側全権になり、下田で和親条約交渉が繰り返される中、下田周辺の町や村は、異国の人々がやってきたと大騒ぎ。戸田村に住む菊三郎ら子供たちも、ロシアの船を見に出かけ、ロシア人水夫と出合った。

 交渉が長引くうち、伊豆から駿河にかけてマグニチュード8.4の大地震が起き、デイアナ号は津波で座礁してしまった。紆余曲折の末、菊三郎の父、船大工の緒明嘉吉らが協力して戸田村で修理することが決まる。ところが、和解にひかれて戸田に向かったデイアナ号は、嵐に巻き込まれ、駿河の国、宮嶋村の沖合でまたもや座礁。当時、外国との交流は法律で禁じられていたが、宮嶋村の長老、重蔵(声 斉藤としつぐ)らは、見捨てておけないと決死の救出作業に手を貸した。

 宮嶋村の人々との心暖まる交流の思い出を胸に、戸田に向かうデイアナ号。しかし、またしても嵐におそわれ、デイアナ号はついに沈没。プチヤーチンと韮山代官、江川太郎左衛門との協議の結果、なんと戸田村でロシア軍艦を新たに建造することが決まった。洋式船など見たこともなかった嘉吉らは、とんでもないことだと断ろうとするが……。

鎖国・ロシア戦艦ディアナ号の遭難・ロシア人との深い友情
「善良な、まことに善良な、博愛に満ちた民衆よ!」
 時は、安政元年(1854)。日本との条約交渉のため下田に来航したプチャーチン提督ひきいるロシア使節団乗艦ディアナ号(2000トン)は、折から発生した地震(安政の地震大津波)で大破した。この船を修理するためプチャーチンは下田以外の伊豆の波静かな良港を求めた。下田において応急処置を施したディアナ号は11月26日下田港を出航。石廊崎を回航して北上、約5時間で安良里港7マイルの位置に達したが、逆風のために松崎湾に投錨地点を求めた。
  しかし適当な水深を見い出し得ず、西風強くかえって危険と判断し、目的地へと強行した。
 時化となった海上では、応急処置として作られた代用舵も壊れ操縦の自由を失った。
 このような状態で艦は漂流し、ついに戸田港に入れず、駿河湾の北方にあたる田子の浦方面に押し流され、翌27日早朝、富士郡宮島村三四軒屋浜沖合いに投錨、停泊をした。
 27日、28日と風はおさまらず海の天候は倦むことを知らずに荒れ狂った。乗組員は昼夜を分かたず水をくみ出したが、間にあわず艦はだんだんと沈んでいった。水船になり沈没する危険に直面しながら艦内の重要な品物は陸揚げした。身軽になり風も凪てきたので戸田へ曳航を開始することになった。
  駿河湾の沿岸から集まった100隻以上の小船はディアナ号につないである綱を引き、必死で櫓を漕いだが、またも西風が吹きだし曳航不能となった。ついに曳航は断念され、艦は駿河湾の海深く沈んでいった。
 我が国の幕末における「黒船」の来航は「国難」とされていた。国内では壌夷の嵐が吹き荒れ、異人に接することをきつく禁じられる中での出来事だった。
 ロシア使節団乗艦ディアナ号は津波によって沈没する危険に遭遇する中で下田湾内を流される町民を3名も助けさらには町民を見舞い、怪我人の手当の手伝いをしたいと申しいれもした。それに対し日本側も上記にあるように駿河湾で艦が沈もうとするときには地元宮島村(現・富士市田子の浦地区)の漁師や周囲の人々が沼津藩の指揮下で100隻以上の小船を荒波に繰り出し、巨艦に綱をつけ戸田村へむけて漕ぎだしたり、非難する船員を浜で命懸で待ち受けた。また地震の宮島周辺でも多くの被害を被る中で異国の人達に食料や衣服を提供した人達がいたことは、まさに感動のふれあいであった。
 目的地戸田村へ着く。

 戸田においても当時の地震、津波によって被害は散々であった。人口は3000人「戸田村紙」によると死者31人、負傷者25人、軽傷者無数、全壊家屋25戸、掘壁破損全戸数の3分の1、橋染皆破7ヵ所、破船25隻とある。このような村に500名近いロシア人が100日近く生活することになった。
  乗艦を失ったロシア使節団に対し、幕府は一部の反対を押さえて3000両を拠出、戸田村民と多くの伊豆周辺の船大工によってロシア帰国用の帆船を作りあげる。ロシア人指導によるこの船はプチャーチンの命名で「へだ号」とされ、後の「造船国日本」の礎となった。
  この「へだ号」によってロシア人は無事ペテルブルグまで帰ることができ、日露和親条約の批准交換が安政3年下田で行われた折り、ロシア側は「へだ号」を修理して返還すると共に、6ヵ月に及んだ使節団の滞在費を払い、更にディアナ号の備砲52門を感謝のあかしとして幕府に贈った。
 後、これに応えて明治政府はプチャーチン提督に対し、日露関係に寄与したとして、勲一等旭日章を贈っている。プチャーチンの死後、その娘オリガ・プチャーチナが、女性の身で単身、戸田村を訪ね亡父が滞在中、憩切な待遇をうけた謝意を述べた。また、遺言によって100ルーブルを戸田村に贈った。
 伊豆の歴史を紐とく時、近年ではアメリカ、ロシア、イギリス、フランス等、多くの国々との交流があることに驚きます。なかでも日露和親条約締結時においては、鎖国の時代、安政地震の大津波で破損した「ディアナ号」の遭難を助け、祖国へ帰るための代船「へだ号」をつくり、無事に祖国ペテルブルグまでたどり着かせたことは、あまり知られておりません。
 その間に、下田、富士や戸田の人達はロシアの人達と深い友情を結びました。”善良な、まことに善良な、博愛に満ちた民衆よ!”とディアナ号に乗船していたマホフ神父に、そう言わしめたのです。
 マスメディアの発達で、情報が瞬時に駆け巡ります。地球の片隅で起こったことでさえ、今現在として身近な問題として捉えるようになりました。逆に言えば日本の一挙手一投足が世界に注目されるようになったのです。
 新たな世界秩序が構築されようとしている現在、これまでより一歩踏み込んだ国際交流が求められています。「国際化」のために、我々はなにをすべきか、明確なヴィジョンとと行動が求められているのです。

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 1997年10月、ロシアのクラスノヤルスクで開催された日露首脳会談の際、
 当時の橋本首相からエリツィン大統領に日本からのお土産として、この「幕末のスパシーボ」のロシア語版ビデオが贈呈されました。
ロシアでの上映の記録
1998.7 ユジノサハリンスク/コルサコフ
ロシアでの最初の上映はサハリンの二都市で熱烈な歓迎を受けました。
1999.8 サンクトペテルブルグ/モスクワ
日本青年会議所との合同上映会
2000.8.20 クロンシュタット
ミレニアムを記念しての上映は、ディアナ号が出航した港町クロンシュタットで行われました。


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