憲法を改正して、一気に首相を直接選挙により公選しようという考え方がこれまで主張されたことがある。
私の提唱する首相民選制はこれとは異なる。
首相公選制は、事実上大統領制に近くなる。
これは統治機構のいわゆる三権のうちの二権、立法と行政、議会と内閣、決定と執行の双方に、国民意思という政治権力の根源を付与することを意味する。しかし、首相民選制は、首相選択に関する国会の意思決定のプロセスに、国民の判断を取り入れることによって、現行憲法の採用する議院内閣制を強化することをめざす。
直接的に民意に裏打ちされた明確な政策体系と実行力を持った内閣が、国会の信任という大きな土俵の上にあることを大前提として、国会と民意の実現を競うのである。
しかし、首相公選制と首相民選制は、一脈通じるものがある。そのどちらも、国会のあり方に対する不満から発想されたものだからである。
派閥間の政権たらい回しといわれた自民党政権時代も、自民党に政権を奪われまいという一点でのみ維持されている細川内閣以降の連立政権の時代も、事情は変わっていない。
国民に選ばれていながら国民から遠く、仲間うちの怨念に揺り動かされ、政策の提示よりはスキャンダルの頻出とその暴霜で疲れ果て、内政も外交も官僚の敷いた狭いレールの上を行くことに甘んじている。この状態を変えなければならないと考える者が、統治機構のあり方を真剣に模索するとき、必ず私の提唱する制度に行き着くだろう。
問題意識の源は同じであるから、異なる制度を主張する人々にも必ず同意していただけるものと信ずる。内閣は、一貫した政策体系を示し実行する。国会は、立法を含む大きな意味での同意によりこれをコントロールする。
両者が対立し収拾がつかないときは、衆議院の内閣不信任という手段と内閣の衆議院解散権という手段が対抗する。何らかの理由で内閣が総辞聴するときは、衆議院も解散し、民意が問われなければならないという不文律が確立されることが望ましい。
法制度的には、現行憲法が定めている内閣と議会の関係に何ら変更をもたらさない。
しかし、直接的に把握することができない民意に、国会と内閣が競って接近するために、衆議院の解散権は、内閣にあることをはっきりと確認し、衆議院の内閣不信任との均衡の上で対峙する手段を持つのが適当である。
国会は、大きな意味での同意という役割を担う。国会議員を選ぶ選挙制度に関して、私自身の考え方は勿論あるが、私の提唱する制度には直接には関係がない。国会がどのような勢力分野になろうとも、政策を忘れた政争に明け暮れれば、内閣に比べ国会のだらしなさが強調されるであろうし、政策論争が正面からなされれば、それこそ私のめざすところとなる。傍論であるが、これにともない、国会における審議のあり方や、調査権の行使が政治的な思惑が先立って阻まれ実効性を失っている現状を改革する必要がある。そうでなければますます国会は国民から遠くなるからである。
以上の仕組みにより、内閣が、一貫した政策体系を提示し、実行することができれば、議会もまた、内閣の提示する政策体系に対し民意の具体化、実現をかけて、その本来の役割を果たそうとするだろう。
国会もまた強化されることになる。
公選論では、首相が権力の根源を国民から直接獲得するので大統領に近くなり、天皇との関係が論点として挙げられることが多かったが、私の主張では、統治機構上、首相も内閣もその法的地位に何ら変更をきたさないので、天皇との関係にも何ら影響がない。
国民投票制度は、ごくわずかの部分的例外を除き憲法は明示的には認めていない。ここから、代議制の原理に立ち返って、憲法は国民投票制の導入を禁じていると主張されることがある。
私は、どんな内容の国民投票も認められるとは考えていないが、私の主張は、国家機構の基幹である首相の選択に関することであるから、慎重な解釈にしたがって要綱案を作成した。しかし、国民投票の結果には厳粛な重みがあるので、議決の段階においてばかりでなく日々の運用においても、国会がこれを無視して葬り去ろうとしたり、軽視したりするようなことがあれば、それは国会の自殺行為といえよう。この制度は国会をも強化する制度なのであるからなおさらである。
内閣が衆議院を解散する権限についても様々な学説がある。しかし、政府見解も国会先例も内閣に無制約の衆議院解散権があるとして通用しているので、法律的には私の主張はこれを踏襲するに過ぎない。公選論VS民選論 |