イラク支援特別委員長として最後の仕事になったのが、イラク共和国ムサンナー県知事、ハッサーニ氏からの表敬訪問と、その後
私が主催した歓迎夕食会でした。
知事からは、日本の援助と復興への協力に対し感謝の言葉が述べられ、私からは支援の継続を伝えました。知事からは現在の給水、医療、公共施設の改修に加えて、電力や通信インフラ、企業誘致など開発プロジェクトの要請も出されました。
因みに給水は、当初給水車による時刻指定型でしたが、受給者から時間の都合がつかなくて貰えない、又、欲しいだけの量を貰いたいなどの希望が出された為、何時でも欲しいだけ給水可能な拠点への大型水槽設置方法に改善されています。
私はサマーワ地域では迫撃砲の脅威を除いて拉致事件などは発生してないが、日本国民は治安の状況に不安を覚えている。開発事業は民間依存になるので、民間人が安心して仕事が出来るような治安環境をつくってほしい、と要請しました。知事が考える治安の水準と、我々が見る水準とは喰い違いがあるようで、特に潜在的不安に対するパーセプション・ギャップを感じました。
夕食会はサマーワの同窓会形式でやろう、という主旨で第一次イラク復興支援群から二人参加して貰いました。丸顔の笑顔がイラク人を魅了した番匠幸一郎支援群長(一等陸佐)と最初にイラクの地を踏んだヒゲの佐藤正久業務支援隊長(一等陸佐)です。やぁ〜やぁ〜、と再会を喜んだサマーワ仲間は一滴のアルコールも出ない会食にも拘らず、同じ土俵で相撲をとった仲間という意識からか、来日以来最高のリラックス状態で知事をもてなすことが出来ました。
しっかりと情報交換をする一方、想い出話になると、ムサンナー県では気候をはじめ新しいことばかり、現代社会の常識が通じないこと、又
イラク側行政組織の複雑さとイラクルールへの不馴れから行き違い・喰い違いの多発、等々気苦労が多かったと本音も飛び交いました。(写真はムサンナー県知事と同席者たち)
砂嵐に含まれた雑菌で眼や皮膚をやられた隊員、出張先で土漠を掘って滲み出る水や井戸水を勧められて細菌に冒された隊員、など日本では知られざる話も沢山聞くことが出来ました。
現地で頻繁に出てくるアラビア語が「ムシケラ」だそうです。その意味は「問題がある」で、ムシケラに始まって、ムシケラで終わる交渉事の毎日だったそうです。
トラブルが解消すると「マーク・ムシケラ」、即ち問題が解決した、問題はない、に変わるそうです。サマーワに於ける自衛隊は存在感があり、貢献度も高い、従って引き続きの駐留は「マーク・ムシケラ」であると、知事はきっぱりと考えを述べました。 |